あなたにとって魔法とは


第一章  …誰?




『……ちょっと待て。なんで……』

眠りから覚めた帆叢は目の前の出来事に愕然としていた。今、彼の目の前で、ありえないことが起こっている。

彼は魔法が使えるので非現実的なことにもほかの人より柔軟に対応できるようになっていた。

超能力や超常現象や宇宙人は『本当にあるのかもしれないな』などと考えるぐらいだ。

『なんで……』

しかし、今、彼は目の前のことが理解できなかった。それは、彼の許容範囲を超えていたからだ。

『なんで……』







『なんで俺のベッドに女の子が寝てるんだよ!』





そう。今まさに帆叢の目の前で、女の子がスースーとかわいらしい寝息をたてて眠っているのだった。

帆叢は驚きのあまり指一本動かすことができない。女の子の寝息が顔に当たる。それほどの近さだ。

帆叢と眠っている女の子との顔の距離は10センチもなかった。まさに目と鼻の先に顔がある状態。

『待て待て待て!何でこんなことになってんだ!こういうときは最初に起こす行動が肝心なんだ。……よし、まず寝る前に何をしたかを思いだそう』

本来、真っ先にとるべき行動は眠っている女の子が起きた時に誤解されないようベッドから降りるなり後ろに下がるなりして距離を取るべきなのだが、

今の状況を把握できずに混乱している帆叢にはその選択肢はない。

『学校が終わってバイトに行って、バイトが終わってからはまっすぐ家に帰ったな。……いや、待てよ?帰る途中にコンビニに寄ったか。

 確か明日の昼飯を買ったんだったよな。それから家に帰ったんだ。家についてからは風呂に入って、晩飯食って、

 その後は明日の準備して、予習して、布団に入って、30分ぐらい本読んで、寝た』

うん。いつも通り。

………………………………………………………………………。

『…じゃあなんで目の前に女の子が寝てるんだよ!わけわかんねえ!』

帆叢は頭を抱えて悶えはじめた。しばらく悶えた後にあることに気づいた。

『あれ?この子…髪の毛が…青い?』

眠っている女の子の髪の毛は青かった。まるで透き通った空の色のような青髪だった。

しかも、その青髪はとても長く女の子の腰ぐらいまでありそうだった。

『うわあ…俺のベッドで寝てる不思議少女はガイコクジンですか。つか青髪ってあるのか?赤髪は聞いたことあるけどな』

そう思ってから帆叢は女の子を観察し始めた。

『顔はちょっと…いや…かなり可愛いかも』

女の子はとても綺麗くて可愛かった。それは息を呑むほどの美しさだった。

『年は同じぐらいかな?…ん?なんだ?この服』

女の子が着ているのは、深緑がメインカラーの学校の制服のような服で首のところには蝶ネクタイをつけている。

ミニのプリッツスカートからは細い足がのびていた。黒いタイツを履いているので余計に艶めかしく見えた。どこかの私立の学校の制服だと考えればそこまではまだわかる。

わからないのは服の上に羽織っている一枚の布。帆叢の記憶が正しければその布の名前は…

『…マント?』

マント。マンガやアニメやゲームで冒険したりするときに着用する首のところで止めるだけの布。そう、あれ。

『…コスプレ?』

そうとしか思えなかった。中世ヨーロッパじゃあるまいし、普通、外出するときにマントなんか着る人はいない。だとすると出てくる答えはひとつ。コスプレしかない。

『…そうか。これは夢だ。夢に違いない。夢じゃないといきなり外国人の美少女がコスプレして俺のベッドで寝てるわけなよな。

 でも夢だとしたらこのコスプレ美少女は俺の想像力が生んだもの?それはそれで問題じゃない?いや、そんなことより早く目を覚ませ!

 目を覚ますんだ俺!』

帆叢が現実逃避を始めたそのとき、

「…ん〜」

謎のコスプレ美少女が動いた。帆叢の動きが止まる。思考も止まる。女の子がゆっくりと目を開けた。帆叢は女の子とバッチリ目が合った。

半分だけ開かれたまぶたから見える女の子の瞳は蒼かった。髪も青いがそれよりも深く、澄んだ蒼さだ。

女の子の瞳は不思議と輝きを帯びているように見えた。寝起きで目が潤んでいるせいかもしれないが帆叢にはそう見えた。

彼はその蒼い瞳から目を逸らすことができなかった。目を逸らすことが罪になるのではないかと思うほど、それほど女の子は綺麗だった。

帆叢は数十秒の間彼女に見入っていた。それから彼は不意に我に返った。時間は真夜中。外は静かで部屋の掛け時計が時を刻む音しか聞こえない。

帆叢は綺麗な女の子を目の前にした混乱と緊張で声を出すことができなかった。それでも何とか言葉をつむいで声を絞り出した。

「…………………………………………え〜っと、オハヨウゴザイマス?」

なんとも情けない第一声だ。女の子は帆叢の言葉を聴いてから数秒後にゆっくりと起き上がった。眠そうな顔でベッドの上に座っている。

帆叢も女の子にあわせて起き上がり、座った。ボーっとしながら女の子は呟いた。

「…ckjvbheo」

「はい?」

声が小さかったので何を言ったのか帆叢には聞き取れなかった。女の子は眠そうな目で周りを見回した後、ベッドに視線を落とした。

ベッドを見ながら数秒間動きは止まっていたが、急に目が見開かれた。それから、わなわなと震え始めた。帆叢は身の危険を感じた。

「…あ〜。お前が言いたいことはわかるけどまずは俺の話を聞…」

そこまで言うと言葉はさえぎられた。

パァ―――――――――――ン

女の子のビンタで。

「ぶふぉあ!」

静かな夜に、ビンタの音と悲鳴が響いた。帆叢はビンタの力に体を支えることができず、ベットの上に倒れた。ビンタの威力は強力だった。

「な、なんで俺が…」

女の子は顔を真っ赤にさせながらベッドの上に立ち、早口でまくしたてている。帆叢は倒れたまま女の子の言葉を聞いた。

「adflkjbaijagitijhrikjiw!」

何を言っているのかわからない。どうやら外国語のようだ。でも、それは今まで聞いたことの無い響きだ。

やっぱり外国人か、などと思いつつ帆叢は起き上がる。殴られた左頬がじんじん痛い。この痛さは夢じゃないと確信した。

じゃあこの目の前の女の子はいったい…何?

「asfgvhbuetalwbnualijgsdrgijbea!」

女の子は怒りがおさまらないのかずっと叫び続けている。帆叢はため息をついた。

「力いっぱい叫んでいらっしゃるとこ悪いんですけどあなたの言葉がわからないんですよ。つか真夜中に叫ぶな。近所迷惑だから。も少しトーン落とせ」

「lkgjabilhergiaoherdugheuhfoqo!」

「だから!わかんねえんだってば!日本語で喋ってくれよ!せめて英語!Can you speak English?」

女の子の動きがピタリと止まる。どうやら帆叢が何かを訴えてるのに気づいたようだ。英語は通じるのかな?今、動き止まったしな。

でも、喋ってるの英語じゃなったよな?もし無理だったらボディーランゲージで直接魂に訴えかけるしかないな…などと思っていると、

女の子は肩からかけた鞄らしきものから何かを取り出た。そしてベッドの上に座り帆叢のほうに差し出した。

「なんだ?」

帆叢は首をかしげた。女の子は何も言わず手を突き出してくる。

「受け取れって事か?」

女の子はうなずく。

「…変な物じゃないだろうな」

「akfjghvlae!rasfklvjhadofuhvawuq!」

「わかったわかった。受け取ればいいんだろ、受け取れば」

帆叢は女の子から受け取る。受け取ったのは直径2cmほどの金属の輪だった。表面には文字のような模様が彫りこまれている。

女の子は帆叢に自分の指を見せた。右手の人差し指に帆叢に渡したのと同じ金属の輪をはめている。どうやら金属の輪は指輪のようだ。

「なに?ペアリング?」

帆叢はふざけて言ったが、女の子は帆叢の言葉を聞いて目を細めた。そして右手をおもいっきり振りかぶる。

「ちょっ!ま、まてって!ストップ!冗談!冗談だから!ビンタはやめろって!」

帆叢はあわてて女の子を制止した。あんな強いビンタを二度も喰らってはたまらない。

女の子は振りかぶった手を下ろし、ため息をついた。

「ovnoerihgoiwaj」

女の子は何かを言いながら、自分の指にはめた指輪、帆叢が持っている指輪、帆叢の右手を順番に指した。

どうやら『私があなたに渡した指輪を私と同じように右手にはめろ』と言っているようだ。

帆叢は初対面の、しかも会って間もない女の子に命令されるのは癪にさわったが無駄に抵抗したらまたビンタを喰らいそうなので素直にしたがうことにした。

右手の人差し指に指輪をはめた。その瞬間、指輪の模様が光り始めた。

「え?」

光は模様に沿って右方向に伸びてゆく。光は指輪を一周し、光の模様が繋がった刹那、指輪の光が強くなった。

「うわっ!」

帆叢はまぶしくて目をそらした。指輪に視線を戻すと光は消えていた。

『今、光ってた…よな?見間違いじゃないよな?』

帆叢は今起こった現象に驚いた。だが、この後もっと驚くことなる。

「klasfhvuierahgoi」

女の子が何か言ってるが今はそれどころではない。帆叢は指輪をいろんな角度から見てみた。今はなんともない普通の指輪にしか見えない。

「asgijvoaeiwopwirg」

『一体なんだったんだろう?』

「bjierがaoとgjaoeihbj」

『ん?今何か聞こえたような気が…』

指輪から視線を外して顔を上げる。12時を過ぎた夜は相変わらず静かで、外からは何の気配も感じない。

『空耳か』

視線をまた指輪に戻そうとしたその時。

「agaまhoくiwrふgjけoarg」

「え?」

「asfgkjaiwajrgで私がこんなことに…」

「は?」

「それより、なんであんたはセルヴァの指輪を持ってないのよ。こっちの世界に来るときには必需品でしょうが」

「………………………」

「おかげで余計な時間をくっちゃったじゃないのよ。…なに呆けた顔してるのよ」

「………………」







「今なら私の言葉、わかるでしょ?」





…………………………………………………………。

「はぁああああああああああああああ?」

「うるっさいわねえ。近くで大声出さないでよ!」

帆叢は驚いた。女の子がいきなり日本語を喋り始めたのだから無理もない。帆叢のかろうじて残っている冷静な部分が働き、説明のつく答えが頭に浮かんだ。

「な、なんだ。お前日本語喋れるんじゃねえか。だったら最初から喋れよな。ジェスチャーだとわかりにくいんだよ」

「は?ニホンゴ?なにそれ。こっちの世界の言葉?そんなの私が知ってるわけないじゃない」

先ほどとはうってかわって流暢な日本語で喋ってくる。でも、何か違和感がある。

「じゃあ聞きますけどあなたがたった今、現在進行形で喋っているのは何語なんですか?」

「アナリア語」

「嘘つけ!今思いっきり日本語喋ってんじゃねえか!つかアナリア語って何だよ!聞いたことねえし!」

女の子は「はぁ」とため息をついた。それから何かを言おうとしたが途中でやめた。そして、急に怒った顔になった。

「それよりも!なんで私がベッドに寝てたのか説明してもらいましょうか!」

「………はぁ?」

「はぁ?じゃないわよ!」

女の子はじとぉ〜っとした目で帆叢を見る。

「あんた私になんかしたんじゃないでしょうね!」

『…やっぱり勘違いしてたのか』

予想通りの女の子の言葉に帆叢は溜息をついた。

「何もしてねえよ」

「じゃあ何で私がベッドで寝てたのよ!」

「知るか。俺が起きたらお前が隣で寝てたんだよ」

「……そんなこと信じられると思う?」

「じゃあお前の体に何か変化あるのか?」

女の子は自分の体を調べ始めた。もちろん体には何も異変はないし、服すら乱れていない。寝たときについた服のしわぐらいしか変化がない。

「何も…ない」

「だろ?お前の勘違いなんだよ。ったく何を想像しているんだか」

「わ、私は何も!」

女の子は顔を真っ赤にして抗議する。帆叢はそれを軽くあしらう。

「それよりも何で急に日本語喋れたんだよ」

コホンと小さくせきをして顔を赤くしたまま何もなかったように取り繕って(全然取り繕いきれてないが)言う。

「…あんた。私がそのニホンゴってやつを喋り始めたときなんかおかしくなかった?」

帆叢は女の子が喋り始めたときのことを思い出した。

『…そういや変な言葉から急に日本語に変わったような』

女の子は続けて言う。

「そして今。私が喋っているのを見て何か違和感を感じない?」

帆叢が女の子を見る。違和感は女の子が喋り始めたときから感じていた。

『でも、その違和感の原因がわかんないんだよな』

帆叢が悩んでいると女の子が呆れたような顔をした。

「いい?私の唇を見てなさい」

「唇?なんで唇なんか…」

「いいから見てなさい!」

『意味わかんねえ。別に何も変わったとこなんかないし』

「どう?これでわかった?」

『相変わらず違和感はあるけど別に何もおかしくな…』

わかった。

喋っている女の子の唇を見て違和感の原因が。




この女の子は日本語・・・を喋っていない。




いや、違う言葉を喋っているが日本語のように聞こえるといったほうが正しいかもしれない。女の子の口の動きと声が全く合っていない。

外国の映画の吹き替え版で口の動きと声が合っていないのと同じ感じ。それが目の前で、リアルタイムで行われている。しかも声は女の子のままだ。

今の日本にはこんなにハイテクな翻訳機械はないはず。

「な、な、な…」

「な?」

「な、なな、ななな…」

「だから『な』がどうしたのよ」

「な、なな、なんで!」

女の子はさらりと言う。

「なんでって当たり前じゃない。セルヴァの指輪を使ってるんだから」

「なんの指輪だって?」

「セルヴァよ!セ・ル・ヴァ!」

「なんだそれ」

今度は女の子が驚いた。

「あんたセルヴァの指輪も知らないの?田舎者にもほどがあるわよ」

「ぐっ・・・」

たしかに帆叢の住んでるところは都会ではない。でも、電車を使えばそれなりに大きな町に行くことはできる。田舎と都会の中間的位置に住んでいる。

まあ都会の人から見れば田舎者なのだろう。

「まあいいわ。ド田舎者のあんたに説明してあげるわ」

『ムカつく言い方しかできんのかこいつは』

「………何か?」

「いえ、別に」

女の子は咳払いをひとつして話を続けた。

「いい?セルヴァの指輪ってのは…」





「全ての言語を理解する能力を持つ魔導具よ」



……………………………………………………………………………。


まどうぐ?



「まったく、セルヴァの指輪も知らないなんて…あんたどんな国に住んでるのよ」

「どんな国ってこの国に決まってるだろうが」

女の子は帆叢の言葉を無視して続ける。

「ん?ちょっと待って。あんた、こっちの世界に来てるってことは任務でしょ?

 だったら、普通、セルヴァの指輪は支給されるはず。なのになんであんたはセルヴァの指輪を知らないのよ!」

「こっちの世界?そういえば前にもそんな表現してたな。普通外国人だったら「こっちの国」って言わないか?それに任務ってなんだよ」

「それに、服はどうしたのよ。そんな服着てるから一瞬『ノーマル』かと思っちゃったじゃない」

「ノーマル?」

「この部屋を見るかぎり武器もないじゃない」

「武器?そんなもんどうするんだよ」

「流石に杖は持ってるでしょ?」

「杖?」

女の子の話の中にはあきらかにおかしな言葉が混じっている。

「まさか…あんた。杖まで失ったんじゃないでしょうね!」

「失ったも何もジジイじゃあるまいし杖なんか持ってるかよ」

「あんたそれでもウィザード?」

「ウィザード?」

帆叢はオウム返しに聞き返す。

「ウィザードとして最低よ!」

「いきなり人を最低呼ばわりかよ」

流石に帆叢もこれにはイラッときた。

「いえ、魔法使いとして最低よ!」

「だから初対面の人間に向かって…は?」

「…まあいいわ。私には関係ないし。あんた。手ぶらじゃやられるだけだから任務は諦めて帰りなさい。

…あの、そのついでに、アナリアへの扉も開いてくれたらうれしいかな〜、なんて。…ってちょっと聞いてる?」

帆叢は反応しない。

「お〜い」

女の子が帆叢の顔の前で手をヒラヒラ振る。帆叢の反応はない。女の子は申し訳ないような顔をした。

「ごめん。ちょっと言い過ぎたわ」

帆叢がやっと口を開いた。

「お前、今さっきなんて言った?」

「え?ちょっと言い過ぎたって」

「もっと前」

「任務は諦めて帰りなさい?」

「もっと前!」

「魔法使いとして最低?」

『やっぱり聞き違いじゃなかった』

魔法使い。

『人が必死に十年以上魔法が使えることを隠し続けてきたのに、この不思議少女はあっさり見破ったのか?』

帆叢は混乱した。ばれた。どうして。どうする。

「ふん、馬鹿馬鹿しい。魔法使い?俺が?そんなわけないだろ」

帆叢はとりあえず嘘をつき通すことにした。

「残念ながら俺は普通の高校生。魔法なんて奇抜なもんは使えねえよ」

帆叢は女の子の反応を待つ。しばらくしてから女の子は目を細めて帆叢を睨んだ。

「は?あんた、なに嘘ついてんのよ」

『嘘ってバレてるし!』

完全にバレているにもかかわらず帆叢は嘘をつき続ける。

「嘘じゃねえ!俺は魔法使いなんかじゃねえ!」

「じゃあ、あんたから感じる魔力はどう説明するの?」

「ま、まりょく?」

「そうよ。私はあんたの魔力をたどってここに来たのよ」

「たどってきたって言われても、俺は魔法使いじゃないんだよ!」

「そんなバレバレの嘘が私に通用するとでも思ってるの?」

嘘に嘘を重ねることでどんどん泥沼にはまっていく帆叢。女の子の怒りのボルテージがどんどん上がって不機嫌になってきている。このままでは…

『また殴られる。なんとかして話の方向を変えないと』

帆叢がどうやって話の方向を変えるか考えていると女の子が先に話し始めた。

「そうか。わかったわ。私、間違ってたわ」

『…お?なんか勝手に勘違いしてくれてる?よし。じゃあこのまま相手に合わせて…』

「やっとわかってくれたか。」

「ええ、全部わかったわ。あんた、ガルガンチュアのウィザードね!」

「そうそう。俺はガルガンチュアの………」

………………え?

「やっぱりね。私としたことが油断してたわ」

「ちょっと待て。勘違いする方向がおかしい」

「私を捕らえてこっちの情報を聞きだすつもりだったのね」

「いえ、全然、全く、そのような気は…」

「そうはいかないわ!」

「おい。1人で勝手に話を進めるな」

女の子は急にベッドから飛び降り、床においてある何かを拾い、帆叢から2メートルほど距離をとった。

ガシャッ!

「ガシャ?」

帆叢は女の子が手に握っているものを見た。それは…

「剣?」

それは細身の剣だった。ベッドのすぐそばに置いていたため、ベッドの上からだと死角になって見えなかったのだろう。

「何でそんなもん持ってんだよ!」

「覚悟なさい!」

「いや、人の話を聞けって」

女の子は鞘から剣を抜く。剣は光を反射して鈍く輝く。剣を抜くと、鞘はそのまま投げ捨て、剣を振りかぶり、帆叢のほうへ走りだす。

「やあ!」

気合の声とともに剣を横薙ぎに一閃。

「危ねっ!」

帆叢はとっさに身を引いて女の子の斬撃を避けた。が、完全には避けきれず、剣の先が腕を少しかすめた。

「痛っ」

帆叢は剣がかすったところを見た。服が切られている。皮膚が横にパックリと割れている。そこから鮮血が流れている。

さぁーっと血の気が引いていくのがハッキリとわかった。

「ほ、本物かよ!」

「当たり前じゃない。偽物なんかもってても使えないでしょ」

「いや、まず使うなよ!馬鹿!やめろ!危ないから!」

女の子はかまわず剣を振り回す。本気で帆叢を殺す勢いで。帆叢は部屋を逃げ回った。ベッド、床、本棚、タンスが次々と斬られていく。

『シャ、シャレになんねえ…』

「逃げるなあ!」

「逃げないとお前は俺を殺すだろうが!」

『とりあえずこいつを止めないと』

帆叢は後ろへ跳び、女の子から距離をとった。とはいっても、部屋の中にいるのでたいした距離はとれないのだが。

『落ち着け。相手の動きをよく見ろ』

帆叢は自分に言い聞かせ、女の子の剣を避けながら相手の分析を始めた。

『型が…だから…で』

女の子の剣を避けるため後ろに下がったときにドンッと帆叢の背中に何かが当たった。壁だ。

「やっべえ!」

「はぁ!」

女の子は剣を振りかぶり、勢いよく振り下ろす。帆叢は間一髪のところで避けた。振り下ろされた剣はそのまま壁に刺さる。

帆叢は避けた勢いで距離をとった。

『やっぱりそうか。となると、狙うのはあそこだな』

女の子は壁に刺さった剣を抜いて帆叢の方に向きなおす。

「避けるな!」

「攻撃されて避けない馬鹿はいないと思うけどな」

そう言うと帆叢は両手を肩の高さまであげ、相手を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。

「まあ、お前のそのへったくそな剣の腕前だといつまでたっても当たりそうもないけど」

「な、なんですってぇ!」

案の定、女の子は帆叢の言葉に激怒し、怒りに任せて剣を振るう。それを帆叢は避けながら後退する。

「なによ!大口叩いた割にはさっきと変わらないじゃない!」

帆叢はまた壁に追い詰められる。

「覚悟!」

女の子は大きく剣を振りかぶる。そのとき、ずっと後退していた帆叢の動きが一転、いきなり前に出た。女の子はそれに驚くも、構わずそのまま剣を振り下ろそうとした。

「え?」

しかし、女の子の剣撃は止められていた。帆叢は女の子の手を片手で受け止めたのだ。剣は女の子の頭の上で止められている。

「なっ!」

「なんでって顔してるな」

帆叢は女の子の動きを封じたまま笑っている。

「お前はただでたらめに剣を振り回してるだけだ。だから、剣をはじいたら体勢が崩れるからそれで終わりだったんだが、

 こっちは素手だからな。そんなことはできない。この部屋には武器になりそうなものはないしな。そこで、お前の動きを見ながら他の方法がないか探してたら気づいたんだけど、

 お前さ、ここぞって時には必ず大きく振りかぶってからの斬り下ろしになるんだよ。だから、1度壁に追い詰められたふりをして、そのことを確認。

 避けた後に挑発したのもわざと。怒っているほうが攻撃がより一層単調になるからな。あとは相手の動きがわかっているからそれに合わせて動くだけ。

 斬り下ろしの攻撃はある地点を通過しないと速度が出ない。そのある地点ってのは頂点。つまり…」

帆叢は空いている片手で指差す。

「つまり、頭。頭の上を通過した後は重力も加算されるから威力が増す。でも、それまでだと自分の力だけだから止めるのは簡単だ。
 
 まして、俺は男で、お前は女。力負けすることはまずないだろうからな」

「だ、誰が解説しろなんていったのよ!は、離しなさい!」

手を掴まれてもなお女の子は振り下ろそうとして力を緩めない。

「離したらそのまま剣振り下ろして俺を斬るだろうが。誰が離すか」

帆叢は部屋を見回した。部屋は女の子の剣で切り裂かれていたるところがボロボロになっている。

「あーあ。部屋中傷だらけじゃねえか。どうすんだよ、これ。絶対に修理費出してもらうからな」

帆叢は女の子の方に向き直した。女の子と至近距離でバッチリ目が合う。女の子はやっぱりかわいい。目が合うだけでぐらっとくる。

あまりの可愛さにずっと見ていることができないので帆叢は目をそらした。今さらになって気づいたことだが、剣を止めるために女の子の手を握っている。

状況が状況でもやはり女の子の手を握るとドキドキするものだ。帆叢はこんなことにはなれてないから余計に意識してしまう。

「は、離せって…」

「ん?」

「いってんでしょうがああぁ!」

叫び声と共に女の子は反撃に出た。帆叢は両手を塞ぐほうに意識していたので油断していた。

女の子は素早い動きで右足を跳ね上げ、帆叢の股間に向けて膝蹴りを繰り出す。それは標的を的確に捉えた。

「っごはぁ!」

帆叢はあまりの激痛に床に倒れる。女の子は肩を震わせ、帆叢を見下して言った。

「ガ、ガガ、ガガガ、ガルガンチュアのウィザードごときが、い、いつまで私に触れてるのよ!け、けけ、汚らわしい!」

女の子は怒りのあまり声が震えている。

「ご…ごが…ごか…」

帆叢は「誤解だ」と言おうとするが、痛さのせいで舌がうまく回らない。

「もう許さないわ。ひ、一思いに殺してあげる」

今までも本気で殺す気だったくせに!と思うが。今はそれどころではない。早く誤解を解かないと本当に殺されてしまう。

「ま…まて」

「なに?命乞いでもする気?今さら遅いのよ」

女の子は剣を大きく振りかぶる。それを見た帆叢はあわてて止めに入る。

「待てって!本当のこと言うから!」

「本当のこと?そんなものはわかってるわよ。それにガルガンチュアの人間とはこれ以上喋りたくないの。さようなら」

「だから待て!誤解なんだ!」

「誤解?」

「そうだ。俺はそのガルガンチュアってとこの人間じゃない!」

「…どういうこと?」

「今からそれを説明するから…その、とりあえず剣を下ろしてくれない?」

「…仕方ないわね。話だけ聞いてあげるわ」

女の子は剣を下ろして椅子に座った。

「さあ、話して」

「しまってはくれないんだ。剣」

「あんたは『下ろせ』って言っただけでしょ。それにあんたが変な動きをしたらすぐに斬れるようにしとかないといけないしね。そんなことはいいからさっさと話す!」

帆叢は女の子に自分のことを説明した。説明が終わると女の子が口を開いた。

「つまり、あんたはこの『ニホン』って国に住んでいて。ガルガンチュアなんて国は知らないってことよね?」

「そういうこと」

「そんなこと信じられないわ」

「…ったく疑り深いな」

帆叢は立ち上がって歩き出した。その動きに女の子は敏感に反応する。

「あんた、もし変なことしたら…」

「しないから剣を構えるな!」

帆叢は学校の制服のポケットを探り、そこから何かを取り出して女の子の方に投げた。

「わっ!」

女の子は慌ててそれを受け止める。それは小さな手帳だった。

「何これ?」

「それは学生証明書。身分証明書と一緒だよ。表紙を開いてみろ」

女の子は言われたとおり手帳の表紙を開いた。そこには帆叢の写真が張ってあり、その横に一行の文章が書いてあった。

『右の者を本校の生徒であることを証明する』

「どうだ?これで納得したか?」

女の子は少し考えてから答えた。

「…こんなのいくらでも偽造できるじゃない」

「お前ってホントに疑り深いのな。身分証明書が駄目だったらどうしろって言うんだよ」

「そうねえ………あっ、そうだ」

女の子は鞄から指輪を取り出して自分の指にはめる。指輪は特に変わった装飾はない。

ただ、おかしなことに宝石をはめる台座らしきものはあるが肝心の宝石がそこにはまっていない。

取れしまったのだろうか。と、帆叢は思った。しかし、女の子はその指輪をじっと見つめ、小さな声で何かぶつぶつ言っている。

「ラスク・ウル・アルス…」

それから女の子は帆叢をじっと見つめて言った。

「アミティエルよ。我に教え給え。この者の言うことは真実か?」

その言葉に反応するかのように指輪の台座の所に白く小さな光の玉が現れた。

「それ…なに?」

「これは真偽リートの指輪っていって、相手が本当のことを言ってるかどうかを確かめる魔導具よ。真実だったら白、嘘だったら赤い光の玉が現れるのよ」

「ってことは…」

女の子は帆叢の後を引き継いで言う。

「そう。あんたの言ってることは真実だって証明されたわけ」

「そうか。…ってそんな便利な物があるなら最初っから使えよ!」

女の子は頬を少し染めてムスッとした顔をして横を向く。

「う、うるさいわね!ちょっと忘れてただけよ!それよりも、これであんたが本当のことを言ってるってのはわかったわ」

「ようやく無罪放免ってわけか。少しぐらいは人の言うことを信用しろよ。つか、危ないから剣をとっととしまえ」

帆叢は女の子が投げ捨てた鞘を拾って投げ渡した。女の子はそれを受け取ると剣を収めた。

帆叢は自分の身の安全が確保されたことに安心してベッドに座り、小さくため息をついた。

女の子は真偽の指輪をカバンにしまい、難しい顔をして何かを考えている。彼女のそんな様子に帆叢は気づいた。

「納得行かないって顔してるな。俺が『ノーマル』ってのだったら何か問題でもあるのか?」

女の子は表情を変えずに小さく頷く。帆叢は顔をひきつらせ、女の子から少し遠ざかった。

「…そんなに俺のこと斬りたいのかよ。俺はあなたの恨みを買うようなことを何かしましたか!」

嘆く帆叢に女の子は手をひらひら振り「違うわよ」と否定して帆叢の顔を見る。

「あんた、本っ当に魔法が使えるの?」

「だから使えるって言ってんだろ。それに、お前の指輪でそのことは証明されただろうが」

「そう、それが問題なのよ」

「は?何で?別に使えても良いんじゃない?同じ人間なんだから」

「使えないの。『ノーマル』が魔法を使うことは不可能なの」

「不可能?」

「そう、ノーマルは魔力が無いから魔法は使えないの。人間を大きく2つの種類に分けると、魔力を持つ『メイジ』と魔力を持たない『ノーマル』。

 『メイジ』か『ノーマル』かは血筋で決まるの。『メイジ』は両親が『メイジ』じゃないと生まれない。つまり、純血じゃないと魔力を持つことは出来ないのよ。

 ご両親が魔法使いなんてことは?」

帆叢は首を横に振る。女の子は帆叢の返事を見てため息をついた。

「そうよね。ますますわけがわからないわ。アナリアに戻ったら一度調べてみる必要がありそうね」

「ああ、どうぞご勝手に。お前がどうしようと俺には全く関係ない話だ」

そう言った後に帆叢は不意にあることを思い出した。

「ちょっと待て、そういえば、お前なんでベッドで寝てたんだ?」

「だから、それは私にもわからないって言ってるでしょ」

女の子は頬を赤らめて帆叢を軽く睨んだ。

「いや、そういうことじゃなくてだな。俺が聞きたいのは、何でお前がここにいるのかってこと。たしか、俺の魔力をたどってきたとか言ってたよな?」

「ああ、そっち?私は討伐の任務でこっちの世界に来たの。私、討伐って今日が初めてで張り切りすぎちゃって魔力を全部使い切っちゃったのよ。

 それで、帰れなくなったから誰か代わりにアナリアのゲートを開いてもらおうと思って探してたら魔力を感じたってわけ」

「それが俺だったと」

「そう、それでその魔力をたどっていったらこの家にたどり着いたの。魔力の元はこの中から感じたから、チャイムを鳴らしたけど反応が無いからしかたなくおじゃま…」

「するなよ。しかも勝手に。…って待て。鍵かかってなかったか?」

女の子とキョトンした顔で告げる。

「かかってたわよ?」

「なに純粋無垢の綺麗な瞳をしてさらっと言ってやがる!あれか!魔法で開けておじゃましますか!」

「何言ってんの?魔法でそんなことできるわけ無いでしょ」

「そりゃそうだよな。…じゃあお前はどうやって入ってきたんだよ!」

女の子はカバンから小さな鍵を取り出した。先が「F」のような形をしていて、持つところは円形で小さな穴が開いている鍵だ。

この鍵にもなにやら変な模様が施されている。

「この魔道具で開けて入ったの。特殊な鍵はムリだけど、大体のやつはこれで一発よ」

くそっ!魔法の世界は何でもありか!と思い、ガクッとうなだれ視線が下がり、気づいた。

「お前、なんで靴履いてんだよ!」

「なんでって普通じゃない」

「この国では普通じゃないんです!家の中では土足厳禁!今すぐ脱ぎやがれ!つか来る前に少しぐらいはこっちの文化を学んでこい!」

普通、外国に行くときなどはそこの風習や常識を少しぐらいは調べるものだ。帆叢も相手の人に失礼が無いように調べてから行くようにはしている。

女の子はしぶしぶ帆叢に従って靴を脱いだ。話を戻すわよ、と女の子が切り出した。

「家に入った後は、この部屋から魔力を感じたから入ったの。そしたらマヌケな顔で寝てるあんたがいたってわけ。

 あんまり気持ちよさそうに寝てるから起こすのに気が引けちゃったよ。起きるまで待ってようと思ったんだけど、

 私もなんだか眠たくなっちゃって、寝ちゃったの」

「寝ちゃったの。…じゃねえよ。人の家でなにやってんだ」

「うるさい。起きてからはあんたも知っての通りよ」

帆叢は少し考えてから感想を述べた。

「一応、話の筋を通ってるけど、理由がどうであれ住居不法侵入だ馬鹿野郎。それに肝心なところの説明が足りてない。ゲートっていったいなんだ?」

「ゲートってのは、私たちの世界とこっちの世界を繋ぐ門のことよ」

「何でそれを俺に?」

「魔力がないとゲートを開くことができないの」

「なるほどね。でもゲートの開き方なんてわかんねぇぞ?」

「それなのよ。ゲートはその国のウィザードとウィッチしか開くことができないの」

女の子は悲しそうな顔をして肩を落とし、うつむいてしまった。

「…しかたないな。その魔力ってのが回復するまでいていいよ。どうせ時間がたったら回復するんだろ?ベッドも使っていいから。朝になったら起こしてやるよ」

「…ダメなの」

「え?」

「こっちの世界じゃダメなの。私たちの世界じゃないと。こっちは精霊たちがいないから魔力は回復しないの」

「…マジ?」

女の子は静かにうなずく。

「じゃ、じゃあどうするんだよ!連絡とって助けとか呼べねえのか?」

「連絡を取る魔道具はあるわ。でも、魔力がないと使えない」

「なんか方法はないのか?」

「2つだけ…ある」

「なんだ、じゃあ大丈夫じゃんか。だったらそんな顔すんなよ」

「その方法に問題があるの!」

女の子は立ち上がり、帆叢に歩み寄る。帆叢の前に立つと人差し指を1本立てた。

「1つ目、他のウィザード、ウィッチが通りかかるのを待つ。ウィザード、ウィッチは任務じゃないとこの世界には来ないわ。
 しかも任務でもこんな辺境の地に来ることはほとんどない」

「辺境の地って…」

「いちいち話のこしを折らない!」

「は、はいっ!」

「だから1つ目の可能性はほとんどないってこと」

「じゃあ2つ目は?」

女の子はもう1本指を立てる。なぜか顔を真っ赤にして目を伏せている。

「ふ、2つ目。…あ、あんたから魔力を…わけてもらう」

「なんだ。そんなことできるんだったら最初っから言えよ。全然問題ないじゃん。で?わけるにはどうしたらいいんだ?」

「…………キス」

「そっか。じゃあさっさとキスしてお前に俺の魔力を…」






………………キス?






女の子はこれ以上にないほど顔を真っ赤にしている。2人の間にしばし沈黙が流れた。

「………………」

「………………」

「…お、お前……い、今、な、なな、なんて言った?もう一回言ってみ?魔力をわける方法は?」

「………………」

「………………」

「………………キ、キス」

「………………」

「………………」

「………………キ、キキキキスって言いました?」

女の子はうなずく。相変わらず顔は真っ赤のままだ。

「俺の聞き間違えじゃない?」

またうなずく。

「冗談ではなく?本気で?」

2回うなずく。

「…マジ?」

「…っしつこいわね!本当だって言ってるでしょ!」

女の子が立ち上がり、真っ赤な顔で帆叢に怒鳴る。帆叢も顔が赤くなっていた。

「待て、落ち着け。まだ聞いてないことがあった」

「…なに」

「その恥ずかしがりようから俺の頭の中では最悪の状況が思い浮かぶんだが、それは思い過ごしだと願いたい」

「…だからなによ。」

「ど、どこにキスするんですか?」

「…………く、口に」

く、口?マウストゥーマウス?

「んなこと信じられるかぁあああああ!」

「私だって信じたくないわよ!」

「証拠を出せ!証拠!」

「証拠なんてないわよ!」

「指輪だ!指輪!あの指輪使ってみろよ!」

女の子はカバンから真実の指輪を出し、指にはめて呪文を唱えた。白い光の玉が浮かんでいる。と、いうことは、

「…真実かよ」

「だから何度もそう言ってんでしょうが!」

「魔力の受け渡し方法は手を合わせるとか、某SF映画みたいに人差し指同士をくっつけるとかだと思ってました!」

「…なによそれ?」

「まさかキスとは…」

「………………」

「………………」

再び気まずい沈黙が流れる。2人は少しうつむき、相手の顔をうかがい、目が合うと逸らすことをしばらく繰り返した。

以前、顔は赤いままである。しばらくして帆叢が意を決したように顔を上げた。

「…しかたないな」

「ヤダ!」

「俺だって嫌なんだよ!」

「っ!なんですってぇ!」

「大体、誰のせいでこんなことになってると思ってんだよ!」

「ぅ…。そ、それは…」

「だからお前には拒否権はないんだよ」

「い、嫌なものは嫌なの!」

「嫌だろうが何だろうがこれしか方法がないんだろうが!事故だと思ってすぐに忘れろ」

「ムリよ!」

「なんで!」

「だって!」

両者ともに噛み付かんばかりの勢いで言い合っていたが、急に女の子が静かになった。

顔はこれ以上にないほどに真っ赤になっていて、指で青く長い髪を弄っている。

「だって…なんだよ?」

「…だって………なんだもん」

女の子の声が小さいすぎて肝心の部分が聞き取れなかった。

「声が小さくて聞こえねえよ。なんだって?」

女の子は俯いて「う〜」と暫く唸っていたが、いきなり顔を上げて帆叢に言った。




大声で。


「はじめてなの!」



「…は?」

予想もしない言葉が飛んで来て帆叢はすぐに理解が出来なかった。

 「だからはじめてなの!今までにしたことないの!好きな人が現れたときのためにずっと守ってきたの!

 どこのだれだかよくわからないやつなんかとするのなんか嫌!絶対の絶対のぜった〜いに嫌!

 笑っちゃうでしょ?この年になってキスも してないなんて。勝手に笑えばいいわ!」

「笑わないから落ち着け…」

女の子は落ち着くどころかますますヒートアップしている。

「うるさい!あんたに長年待ち続けてたものを壊されるこの気持ちがわかる?」

「………」

「わからないでしょうね!」

「わかるよ!」

帆叢の言葉で女の子の勢いがピタリと止まった。

「はぁ?」

「えっ…あ、いやっ、あの、その…」

帆叢は恥ずかしさのあまり女の子の目を見れず、横をそっぽを向いて告げる。

「俺も…まだなんだよ」

「…え?」

「だから!俺も初めてなんだよ!」

「………っ!」

沈黙が再び訪れる。これで何度目になるだろうか。この嫌な空気を変えるため、帆叢は咳払いをしてから話し始めた。

「嫌な理由は十分わかったんだけど、結局それしか方法はないんだろ?」

女の子は静かにうなずく。

「それじゃあそうするしかないだろ」

女の子は「う〜」っとうなって拒絶の意思を表す。このままでは堂々巡りだ。

「…しかたないな」

帆叢は独り言のように小さくつぶやいた。そして女の子に呼びかける。

「なによ」

女の子は帆叢を睨みながらあからさまに不機嫌な顔をしている。もう少しましな顔ができないのかと思うが、言うだけ無駄なのでここは黙っておいた。帆叢は本題を話し始める。

「お前な、考え方を少し変えろ」

「はぁ?あんたいきなりなに意味のわかんないこといってんのよ」

「だから、魔力をもらうためにするんじゃなくて、人を助けるためにしないといけないって思えばいい」

「どうして?」

「自分の所為でしないといけないと思うより、そっちの方が気が楽になる。それに精神的ダメージも少ない。溺れた人に人工呼吸するのと一緒だな」

「なんであんたにそんなことわかんのよ!」

「本で読んだことがあるんだよ。ちゃんと調査してわかった正しい情報だ」

女の子はしばらく考え込んだ後、帆叢を見て言った。

「いいわ。そういうことにしてあげる」

「そいつはよかった」

帆叢は安堵の溜息をつく。これでやっとこのわけのわからない女の子から解放されそうだ。

女の子は腕を組みなぜかふんぞり返っている。

「私があんたを助けてあげる」

「そりゃどうも」

「私しかあんたを助けられる人は他にいないもんね」

「そう、そう、その調子」

「この私が助けてあげるんだからありがたく思いなさい」

「あ、ああ、そうだな」

「あんたがあまりにも間抜けでかわいそうだから仕方なく助けてあげるんだから。慈悲深い私に感謝しなさい。そして私を崇めなさい」

『こ、こいつ、人が黙って聞いてたら好き放題言いやがって。考えを変えろとは言ったが調子に乗れとは言ってないぞ!』

「ん?あによ、その顔は。なんか文句でもあんの?」

「イヤ、ベツニ」

「そう?ならいいわ。ふぅ、これでちょっとはスッキリしたわ」

「あーそうですか」

逆に帆叢はイライラしている。

「じゃあ、魔力の受け渡し方法の説明をするわ」

「え?ただキスするだけじゃないの?」

「そんなわけないでしょうが!キスするだけで魔力が移っちゃうんだったらそこらじゅうで起きちゃうじゃない!それにどっちが送る方か受ける方かもわかんないでしょ!」

確かに女の子の言うとおり、キスするだけで魔力が移るのであれば魔法使いの夫婦や恋人たちはたまったものではない。

「ちゃんと手順がいるのよ。これも一種の魔法だとも言われてるしね」

「ちょっとまて、魔法の一種だと言われてる?言われてるってどういうことだ?」

「そこらへんの詳しいことはまだ解明されてないのよ。原理も不明だしね。本来、魔法は四大系統だけだとされてるんだけど…ってそんなこと関係ないじゃない」

女の子は話を戻し、手順の説明を続けた。

「手順って言っても簡単なんだけどね。いい?キ、キスするときに『我、口づける者に魔力を渡さん』って言うの。一種の呪文みたいなものね。
 それから魔力のイメージ化をして、そのほんの一部を私にくれればいいだけだから。わかった?」

「わかりません、先生」

「…あんた、私をなめてるの?もう一度叩かれないとわからないのかしら?」

「待てって。手順はわかってたんだけど、『魔力のイメージ化』ってなに?」

「はぁ?あんたそんな基本的なこともできないの?ほんっとに使えないわね!」

「今まで普通に暮らしてきたから知らなくて当然だろうが!」

「全く、手間のかかる…。いいわ。教えてあげる。詳しいことは省くけど『魔力のイメージ化』ってのは文字通りの意味よ。魔力っていうのは精神力のことだと言われてるわ。

 当然、魔力には姿形が無い。それをあえて想像することで魔法を使うときに無駄な消費を抑えたりするの。上級ハイクラスのメイジはこれを無意識にするらしいんだけどね。

 それで、やり方は体の中に意識を向けて、散らばってる力を集めて一つの塊にするの。その時に自分の魔法の属性を思い浮かべるとやりやすいわ。水の魔法が使えるのなら水を、

 風の魔法を使えるのなら風をイメージするの。わかった?」

「ああ、やってみる」

そう言うと帆叢は目を閉じた。

「体の中に散らばっている力を一つに」

帆叢は手順を1つ1つ口に出しながらこなしていく。

「自分の属性をイメージする」

『俺の属性は「火」』

帆叢は自分の体の中に大きなひと塊の火をイメージした。なんだか体が温かくなったような気がする。帆叢は目を開けた。

「どう?できた?」

帆叢は手を胸にあててから答えた。

「ああ、たぶん」

「じゃあ、そろそろやるわよ。さっさとこんなところから帰りたいしね」

「自分から勝手に来といてこんなところとはなんだ、こんなところとは」

「うるっさいわね。来たくて来たんじゃないわよ。それよりもちゃんとやり方覚えてるんでしょうね」

「ご心配なく。ちゃんと覚えてるよ。『我、口づける者に魔力を与えん』って言ってからするんだろ?」

「魔力のイメージ化をして私に渡すのも忘れちゃだめよ」

「わかってるよ」

「それから、一瞬で終わらせなさいよ。さもないと…殺すわよ」

「あ、ああ。わかった」

女の子が言葉に強い殺意をこめて言ったので帆叢は思わずひるんでしまった。

「じゃあ、来なさい」

そう言うと女の子は少し顔をあげて目を閉じた。あらためて見るとやっぱりこの女の子はかわいい。

性格や話し方のせいでそれが目立たなくなっているようだ。もったいないと帆叢は思ったが口には出さなかった。

今はそれどころではないのだ。目の前の女の子にキスをなければならない。

『いいのか?本当にしちゃっていいの?キス。だって、ほら、俺、初めてだよ?ファーストキスってやつ。相手もそうだって言ってるし。

でも、やらないとこいつ帰れないらしいし。そうだよ。これは人助けだよ。ボランティア。しかなたいんだ。やらないといけないんだ』

この間約3秒。いろいろ考え結論に達したようだ。

「じゃあ、いくぞ?」

女の子は黙ってうなずいた。それを確認し、顔を近づけようとしたとき、

「待って!」

女の子は帆叢の顔の前に手を出して、彼の動きを止めた。

「ひとつ聞くことがあるの」

この状況でどんな質問をされるんだろう。と帆叢は予想できる限りの質問を想像したが彼女の質問は、

「あんた、名前は?」

「へ?」

予想外だった。その予想外すぎる質問にホムラは気の抜けた返事をしてしまった。

「へ?じゃないわよ。名前よ、ナ・マ・エ!あんたの名前を聞いてるの!」

「いや、それはわかるけど」

「それならさっさと答える!」

「は、はい」

どうして?という質問をしようとしたが遮られてしまったので聞くことができなかった。おそらく、これからキスする相手の名前ぐらいは知っておこうと思ったのであろう。

これに関しては帆叢も同意見だった。

「…帆叢。秋雨帆叢」

「ホ…ムラ?ふぅん。変な名前ね」

「変で悪かったな。お前の名前はさぞかし立派なんだろうな」

「そうよ。さあ、始めるわよ」

「ちょ、ちょっと待てよ。まだお前の名前を聞いてないぞ」

「あら、別に名前なんかどうだっていいじゃない」

「こ、こいつ…」

「男だったらぶつぶつ言わずにさっさとしなさい!」

『なんて理不尽な…』

帆叢はもうため息しか出てこなかった。これで何度目のため息だろうか。数えるのも馬鹿馬鹿しく思えてくる。

「わかったよ。名前は聞かないよ」

「わかったらのならいいのよ」

『今はな』

絶対後で聞きだしてやると帆叢は心の中で決めていた。とりあえず今は先に進むしかない。名前を聞くのはそれからでも遅くはないだろう。

「でも、その前に1つ確認だ」

帆叢が急に真剣な顔つきになった。帆叢の顔を見て、女の子の顔つきも真剣なものになっていた。

「本当に、いいんだな?」

一呼吸おいて、彼女は、

「いいわ」

決意の色を持った眼で、帆叢のことを正面から見据え、一片の揺るぎもなく、そう言い切った。

帆叢は無言でうなづき、一歩、女の子に近づいた。彼女は先程と同じように目をつぶり、顔を少し上げた。

「我、口づける者に魔力を与えん」

そして、帆叢は呪文を唱え、彼女の肩に手を置いた。が、

『ふるえ…てる?』

女の子の肩が少しだけ震えていたのだ。いきがって強気だったのは怖さを隠すためだったのかもしれない。そう考えると、帆叢はなぜだか笑みがこぼれた。なんだかんだ言っても彼女は女の子なのだ。

帆叢はそんな震えている女の子を傷つけないように、できるだけ優しく、軽く触れるようなキスをした。






…おでこに。





「は?」

女の子は間の抜けた声を上げた。無理もない。帆叢の行動はあまりにも予想外だった。

「あ、あんた。何したの?」

「キス?」

「ど、どどどこに?」

「どこにって決まってるじゃないか」

帆叢は「なぜ当り前のことを聞いてくる」というような顔であっさりと告げた。





「おでこ」



その一言が女の子の怒りの決め手となった。

「だ、だれがおでこにキスしろなんて言ったのよ!あんた!今まで私の話聞いてたの!私がキスしろっていった場所は…むぐっ!」

女の子はそれ以上喋れなかった。

帆叢の口づけによって。

『魔力のイメージ化…』

帆叢は目をつぶったまま教わった手順を淡々とこなす。女の子は驚きのあまり目を見開いている。何が起きているのかよくわからないようだ。

『その一部を…ちぎって…わけあたえる』

イメージした魔力が女の子に移ったとき、体の中から何かが流れていくような感覚がした。

帆叢はゆっくりと唇を離した。

『できた…のかな?』

ちゃんどできたのか確認しようとしたが女の子は固まったまま全く動かない。

「あ、あのぉ…もしもし?」

帆叢の声でハッと気づいた女の子は、彼の顔をしばらくぼーっと眺めた後、赤面し始め、何かを言おうとして口をパクパク動かしているが声は出ていない。

しばらくその動きが続いたのち、やっと言葉が聞こえてきた。

「…こ」

「こ?」

「こ、こここ…」




「殺す!」



「え?」

帆叢は女の子の声に驚いて一歩下がった。帆叢が声を出すのと女の子が動いたのはほぼ同時だっただろうか。彼女は文字通りの行動に出た。

持っていた剣を鞘から引き抜くと同時に帆叢めがけ横一閃の一撃をくり出した。しかし、運のいいことに帆叢は女の子から一歩下がったことによって距離が少し開いた。

それにより目測を誤った一撃は空振りに終わった。もし、あのとき帆叢が一歩下がっていなかったらバッサリと体を斬られていただろう。

『バッサリと…』

そう。バッサリと。

「冗談じゃねぇえええええええええ!」

「冗談?本気よ!」

「そのセリフはさっきも聞きました!つか言われたとおりにやったのになんで殺されなきゃいけないんですか!」

「言われたとおり、ですってぇ?」

女の子は杖を取り出して短く呪文を唱えた。すると、水の玉が空中に現れた。

「お、おい!せっかく魔力分けたのにまたなくすつもりか!」

「おあいにくさま。どっかの誰かさんが必要以上にくれたおかげで魔力は有り余ってるのよ。ご心配なく」

そう笑顔で告げると、彼女は杖を振った。水の玉が帆叢の横を飛んで壁に当たった。後ろの壁からすごい音がした。帆叢はおそるおそる後ろを振り返るとそこには…

「あ、穴が」

穴が一つぽっかりと空いていた。それはちょうど水の玉の大きさだった。

「その水玉にこんな威力が?」

「そうよ、これで打ち抜かれたくなかったらなんであんなことをしたのかいいなさい。言い訳ぐらいは聞いてあげるわ」

「あんなこと?」

「おでこにキスしたり、不意打ちみたいにキスしたでしょうがぁあああ!」

怒りながら女の子は杖を振り、水の玉を一つ帆叢に向かって飛ばした。帆叢は後ろに倒れるようにしてすんでのところで避けた。どうやら返答を誤ると飛ばしてくるようだ。

「あ、あれは緊張をほぐすために…」

「誰がそんなことをしろっていったのよ!」

「いや、だって震えてたし」

女の子は赤面し、慌てたように言い返した。

「ふ、不意打ちのキスは?」

「ああしないとまた緊張して震えだすだろ?」

「だからってあんなこと…」

「成功しただろ?震え止まってたし」

笑いながら帆叢はそう言った。そして、それは、間違いだった。とても、とても大きな間違いたっだ。

女の子は水の玉を帆叢に飛ばした。

「んのわぁ!」

これもギリギリのところでかわした。

「あっぶねえなぁ!なにすんだよ!」

「言いたいことは、それだけ?」

女の子は笑顔でそう尋ねてくる。帆叢は普通に怒っているより笑顔の方が数倍怖く感じた。

「もっとマシな言い訳をすると思ったんだけどね。駄目だわ。全然納得できない。あんな形であたしの…あたしの初めてが」

女の子は先ほどとおなじ呪文を唱えた。しかし、現れた水の玉の数は違っていた。五個ほどの水の玉が空中に浮かんでいた。

それを見て帆叢の血の気は引いた。

「お、おい!そんなの全部撃ったら俺の部屋が穴だらけになるだろ!」

「あら、その心配はないわ」

女の子は笑顔で告げる。

「穴だらけになるのはあんただもの」

「いっ!」

帆叢は言葉を詰まらせた。この状況ではとても冗談と思えない言葉。それになにより女の子の目が本気でやると語っている。顔は笑顔だが、目だけは全然笑っていない。

「ちょ、ちょっとまて!俺はお前の言うとおりに魔力を分けた!そりゃあやり方は少し…いや、大分違ったけど結果的にお前を助けたことになるじゃないか!助けた人をお前は殺すのか?」

女の子の動きが止まった。そして、少し考えた後に答えた。

「それもそうね。殺すのは止めてあげる」

「よ、よかった…」

帆叢は安堵の溜息をついた。が、しかし、気になることがある。

「ん?殺す…『のは』?」

「ギリギリね」

「ギリギリと、申しますと?」

「殺すのは止めるわ。ギリギリ死なない程度で生かしといてあげる」

「え?」

「覚悟なさい」

「ええ?」

そして、最後に女の子は笑顔で告げた。

「痛覚を持って生まれてきたことを後悔させてあげる」

静かな夜に帆叢の悲鳴が響き渡った。



「はあ、はあ、はあ」

女の子は肩で息をしていた。その傍らには大きなボロ雑巾のようなものがある。帆叢だ。彼女は数十分間休むことなく帆叢を容赦なくボコり続けた。

その間、彼は抵抗する術もなくただひたすらにそれを受け続けていた。そして、今に至る。

「はあ、はあ、はあ」

さすがに殴りつかれたのだろう、殴る手を止めて呼吸を整えている。

「ふぅ、少しは、スッキリ、したわ」

その言葉に帆叢がわずかに反応した。

「あ、当たり前だ。これだけやってスッキリしない方がどうかしてる」

せめてもの抵抗として悪態をついた帆叢だったが、

「へぇ、まだそんな口をきく元気があるの。どうやらまだまだ足りなかったようね?」

当然のごとく逆効果、火に油を注いだ。女の子は水の玉を帆叢の背中に叩きこんだ。「ぐはっ」という悲鳴をあげた後、帆叢は動かなくなった。それを見て満足したのか女の子の顔に笑みが浮かんだ。

「うふふ、しかたがないからもう許してあげるわ。私の慈悲深い行為に感謝なさい」

どこがどう慈悲深いんだとは思ったが口には出さない。というか出せない。体が動かないのだ。結構やばい状態になっている。

「あら?どうしたの?」

異変に気づいた女の子が尋ねるが帆叢は答えない。いや、答えられない。

「少し…やりすぎちゃったかしら?」

少しどころの話ではない。

「…もしかして、ヤバい?」

ええ、とっても。

女の子は慌てて呪文を唱え始める。

「い、生命の水よ!彼のものを癒したまえ!ヒール!」

帆叢の体が淡い光に包まれた。体の痛みがなくなり、あざが消えていく。

「ふぅ、もう起き上がれるでしょ?」

女の子が言うとおり、体の節々には痛みが残ってはいるが体が動くまでに回復していた。女の子は帆叢の体を触って確認している。

「うん。大丈夫みたいね。でも、少し痛みが残ってるんじゃない?」

「あ、ああ」

「やっぱり…もう一度かけるから…動かないでね」

2回目で体の痛みは完全に消えた。帆叢は腕を動かして確認してみた。あれだけ傷だらけだったのにちっとも痛くない。

「…すごいな」

帆叢は思ったことをそのまま口にした。

「べ、別にすごくなんかないわよ。水の使い手にとって、治癒魔法は基本中の基本なんだから」

「いや…それでもすごいよ。ありがとう」

帆叢は薄い笑みを浮かべて女の子を見てそう言った。彼女は恥ずかしそうに顔をそむける。

「れ、礼なんかいいわよ。私が少しやりすぎたんだから」

「少しどころじゃなかったけどな」

「…やっぱり?」

「ああ、かなりヤバかったな」

「ま、まあ、結果的に治ったんだからいいじゃない!」

「そういう問題じゃないだろ」

帆叢は頭が痛くなってきた。

「普通は謝るところなんだけどな」

「なんで私があんたなんかに謝らないといけないのよ!そもそも原因を作ったのはあんたでしょうが!」

「わかってるよ。誤ってもらうことに関しては全く期待してない」

帆叢はだんだん彼女の性格がわかってきた。

「そうあっさり言われるとなんかムカつくわね」

「じゃあ、誤ってくれるのか?」

「それとこれとは話が別よ」

「だろ?」

妙にプライドが高くて、気が強く、頑固で、自分の考えはすべて正しいと思い込んでいる。要するに、

「…わがままだな」

「何か言った?」

「いや、別に」

ところで、と、帆叢は話を切り替えた。

「あんなにバカスカ魔法撃って大丈夫なのか?魔力が無かったんじゃないのかよ」

「それは平気よ。さっきも言ったけど少しでいいって言ったのにあんたがたくさん分けてくれたからね。まだ十分残ってるわ」

「少しのつもりだったんだけどな」

「まあ、魔力のコントロールができてないんでしょうね。イメージ化も知らなかったんだし。分け与えることができただけでも上出来よ」

「あと、もうひとつ。これはどうするつもりだ?」

帆叢は自分の後ろを指でさした。

本棚、クローゼット、ベッド、机、床、壁。これらの全てに傷がつき、へこみ、穴が空いていた。みごとにボロボロになっている。見るも無残とはこのことを言うのだろう。

「それも大丈夫よ。直すから」

「な、直すって、これを?全部?元通りに?」

そう聞き返してしまうのも無理はない。目の前の物は常識的に考えて到底「治る」というレベルの壊れ具合ではない。しかし、女の子は「ええ」と軽く答えた。

彼女にとってはそれが当り前なのだろう。

「お前の魔法って怪我を治したり、物を直したりできて便利なんだな」

「あたしは『水』の使い手よ?物まで直せるわけないじゃない。直すのは『土』の使い手よ」

「ってことはなにか?まだ他にも得体のしれないやつが来るのか?」

「得体のしれないやつじゃないわよ。ちゃんとしたアナリアの魔法使いよ」

「十分得体が知れないよ」

「それは私も得体が知れないって意味かしら?」

「いや、そういう意味ではなくて」

実際はそういう意味で言ったんだけどという本音は心の中にしまっておくことにしよう。

「ところで、そいつはいつ来るんだよ。こっちにも都合ってもんがあるんだ」

「別にあんたの都合は関係ないわ。こっちで勝手にやるし」

「人の家に勝手に上がりこむことを宣言されても困るんだよ!」

「だから、あんたの記憶を消すから関係ないの!」

「記憶を消そうが何しようが人の…記憶を消す?」

「そうよ。だからあんたには関係なくなるの」

「そんなこと、できるのか?」

「ええ、もちろん。できないなら言うわけないでしょ?この『忘却フォルゲトの鈴』を使えば可能よ」

「人の記憶を消すなんて…」

「そうね、普通なら許されることじゃないわ。でも、これが決まりなの」

「決まりだからって…俺の記憶は消させない!」

「そう。それなら仕方ないわね」

女の子は杖を取り出して呪文を唱え始めた。ヤバい!と思った帆叢が彼女を止めようと近づこうとしたが、

「もう遅いわ」

帆叢の手が女の子に届く寸前で呪文の詠唱は完了した。彼女は杖を振って魔法を発動させた。

「っ!」

足が動かなくなりその場で崩れ落ちた。強烈な眠気を帆叢が襲う。必死に体を起こそうとするが腕が全く動かず、眠気に抗うことができない。

「お、まえ…なに、を」

「起きてる…一発で眠らすつもりだったのに…。あんたにかけたのは眠りの魔法よ」

「くそ、体が動かねぇ…」

「あたりまえでしょ。水の魔法を甘く見ないことね。さて、あんたには今日起こったこと全てを忘れてもらうわ。寝てる間にね」

女の子は杖を構えなおして再び呪文を唱え始める。

「まて、その前に、ひとつだけ、教えろ」

彼女は詠唱を中断し、帆叢を見下ろした。

「これから全部忘れるって言うのになんで教えなきゃいけないのよ」

「いいから!教えてくれ!」

「ま、聞くだけ聞いてあげる。なにを教えて欲しいの?」

「…名前だ」

「はぁ?名前?これだけ言ってるのにあんたわかってないの?これからあんたの記憶を消すの。だから、今日起こったことは全て…」

「忘れない!」

「っ!」

「これだけは、絶対に、忘れない!」

「…ぷっ……あはははは!あんたも変わってるわね。いいわ、教えてあげる。せいぜい覚えてなさい。覚えていられるものならね」

「覚えて、おいてやるよ。お前だけが、知ってるのは、不公平だろ?」

女の子が目をつぶり詠唱を再開する。呪文は先ほどと違い少し長い。帆叢が止めに入ることがわかっていたから短かったのだろう。

本当は止めたかったが、体が動かないのでしかたがない。ただ黙って彼女が唱える呪文を聞いていた。詠唱が終わり、彼女は目を開けた。

「数多の羊は眠りにいざなう…。スリーピングシープ」

「っ!」

先ほどより強力な眠気が帆叢を襲う。まぶたが重く、目が開けていられない。女の子は帆叢の前でしゃがみ、彼の目を見つめた。彼女は子どもがいたずらに成功した時のような笑みを浮かべている。

「一回しか言わないからちゃんと覚えなさいよ?」

帆叢は閉じようとするまぶたを必死に開き、言葉を待った。

「いい?私の名前は…」



ここから先は覚えていない。

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